帰国生が中学受験をするワケ
こんにちは。だいみにです。
ドイツで暮らし始めて3年目になりました。
16歳の長男は、現在インターナショナルスクールに通っています。
今日は、長男の今までの壮絶人生について書きたいと思います。
長男は日本の小学校に入学しましたが、4年生の7月から6年生の12月までカナダで過ごしました。
2年半のカナダ滞在から帰国後、6年生の1月に長男はもといた小学校に戻りました。卒業までのたった3ヶ月間の日本の小学校生活は、想像を絶する過酷なものでした。もといた場所だから大丈夫だろうという甘い考えは、逆に長男を苦しめる結果となってしまいました。
2年半の外国生活で、長男は "日本の常識” を失ってしまっていました。授業中に水筒を机に置いていたり、給食の残飯をゴミ箱に捨てたことで同級生から反感を買うようになりました。カナダ人と揶揄され、日本の同族意識の高さに心底ぞっとしました。みんな違ってみんないいなんていう考えはただのきれいごとでした。挙句の果てには名前を覚えていなかったことを理由に同級生に殴られ、地獄のような日々でした。
公立中学なんて行けるわけない。自国であるはずの日本が怖くなりました。
学校選びを帰国生が多い私立中学だけに絞り、帰国生入試で受験しました。いわゆる進学目的の子供たちが、勉強に勉強を重ねて受ける中学受験ではなく、安全な場所に避難するための中学受験でした。
入学が決まった中学が遠方だったため、それからすぐ引っ越しをし、長男の中学を軸に家族が動くことになりました。主人は通勤が片道1時間半となりました。
幸い長男が入学した中学には、”ザ日本” の考えの生徒や先生は少なく、自分は自分、他人は他人、好きにやればいいという雰囲気でした。のびのびと中学生活を満喫し始めた長男だったのですが、1年後今度はドイツへ。
結局、1年間だけの日本の私立中学校通いとなりました。うれしいことに高校1年生になった今でも、その時の友達とはやり取りしているそうです。
親の度重なる引っ越しに付き合わされた長男の学生時代の思い出が、途切れ途切れになってしまっていることを思うと心が痛いです。しかし後悔はしていません。その時どき、最善を尽くしてきた自信はあります。私も長男も、今でもまだ生活がうまくいかず涙が出そうになるときがありますが、私は長男を全力で支えているつもりです。
長男が大人になって、いつか自分の人生を振り返ったとき、悪くなかったなと思ってもらえることを切に願うばかりです...。