ドイツ暮らし保育士お母さんの気づき

ドイツで暮らしている2人の男の子のお母さん&保育士です。海外生活で起こる(かもしれない)ことや親子の会話をサクッと読める記事にしています。育児や保育に関すること、趣味の日本語研究と人間観察なども...

言葉には無意識に本性が表れる

こんにちは。だいみにです。

今日は言葉の表す恐ろしい奥の意味について書きたいと思います。
 

もしかして私が敏感過ぎるのかもしれませんが、見下されてるなと感じる言葉に遭遇し、なんとなく忘れられずにいます。
 

それは「お世話様」という言葉です。
当時12歳の長男と6歳の次男と行ったカナダ留学から帰国後すぐに送られてきた、姑さんからの手紙に書いてありました。
「子供たちのお世話大変だったでしょ。」という労いの意味だったと思います。でも「お世話様」という言葉を見たとき私は、姑さんの言葉のチョイスに違和感を感じました。年に数回しか顔を合わせない他人行儀な関係なだけに「私はお手伝いさんじゃないんだけど」という思いが湧いてきて、なんとなく嫌な気持ちになりました。

なぜならこの話には前置きがあるからです。
「お世話様」の手紙をもらう約10年前、長男が1歳半くらいのとき、姑さんに「いい子に育ててくれてありがとう」と言われました。長男がきちんと座ってご飯を食べられることに関しての発言でした。「なんか変なこと言われるな」と違和感を感じたのですが、「孫を我が子のように思ってくださってるのかな」としかその時は考えられませんでした。
 

どうやら私はずっとお手伝いさんのように思われているようです。
孫を育ててくれる人だと。

実際そんなこと言われたことはありませんが、姑さんの言葉の奥にそういった感情があるのを感じます。

書いたり話したりするときの言葉選びで人の本性がみえるとゾッとします。

私の被害妄想なのかもしれませんが。

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