ドイツ暮らし保育士お母さんの気づき

ドイツで暮らしている2人の男の子のお母さん&保育士です。海外生活で起こる(かもしれない)ことや親子の会話をサクッと読める記事にしています。育児や保育に関すること、趣味の日本語研究と人間観察なども...

「児童書のカバーは不必要なんじゃね?」と思うのは私だけ?

こんにちは。だいみにです。

ドイツで暮らしている10歳と16歳の男の子の保育士お母さんです。

日本の本にはきれいなカバーがついているものが多いですよね。

本屋さんで本を買うとさらにその上にカバーをつけてくれるときもあります。

 

 

日本にいるときは特に何も思っていなかったのですが、外国に行ってから日本が特別なことに気がつきました。ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、ドイツでは、特別な本以外はもともとカバーがついているものはありません。本屋さんでカバーをつけてくれるといったサービスもありません。

日本の本のカバーとさらにその上につけてもらえるカバーは過剰包装のように思うのですが、大人の本に関しては大人の事情があるので「ありなのかな」と思います。本を汚したくない人や、電車で読んでいる本を周りの人に知られたくない人もいるでしょう。自分が読みにくくなければそれでいいように思います。

私が疑問に思うのは、児童書についているきれいなカバーです。はっきりいって子供がカバーがかかった本を、カバーが取れないように読むのは難しいことです。我が家にある児童書は、もうすべてカバーはありません。子供が読んでいるうちに外れ、そのままゴミ箱に直行しています。カバーを取っても、本自体にカバーと同じ絵柄が印刷されているものもあります。そういう児童書を見るとますます「カバーは不必要なんじゃね?」と思ってなりません。

しかも日本の図書館にある児童書は、カバーが取れないようにテープでがっちり貼りつけてあります。カバーが図書館の方のお仕事を増やしているように感じます。保育園の幼児さんの本棚もまずカバーが破れるので補修しないといけません。

 

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児童書は子供が何度も繰り返して読むためのものです。本棚の飾りではありません。間違いなく取れてしまう悲しいカバーの行く末を思うと、きれいなカバーを作ってくださっている方に申し訳なく思います。繰り返して使う学校の教科書にはカバーがないのに児童書にカバーがあるのは、もしかして「芸術=汚してはいけないもの」という考えからなのかもしれません。
 

30年以上前、高校1年生の最初の英語の授業で、学校指定の英和辞典のカバー(ケース)について先生がおもしろいことを言われていました。 

「この辞書のケースはもういりません。石膏で固めて花瓶にでもしてください。」

当時私はこの発言にかなり衝撃を受けたのでしょう。今でも先生の顔や話し方を鮮明に記憶しています。
辞書がケースに入っていると、辞書を引くのが面倒に感じます。しかもきれいに使わないといけない気がします。辞書は使ってなんぼのものなので英語の先生の話は的をついています。花瓶にしなくてもいいと思いますが...

 

ちなみにドイツの学校生活ではカバーが不可欠なものとなっています。本にかけるのではなくノートにかけるのです。教科ごとにカバーの色が決められていて生徒も先生も何のノートかすぐわかるようになっています。私には、これこそカバーがカバーの役割をまっとうしている真の姿であるように思えます。

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